誰がためのきれいさ?

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きれいなソースコードを書けるようになるためには
きれいなソースコードを書くために必要な、たったひとつの単純な事

こういうこと昔は考えてたなー、と懐かしかった。
最近ではあまり意味がないと感じたので考えなくなってしまった。

言語はコミュニケーションツールである。(その他の利用目的もある。)
じゃ、プログラミング言語は誰と誰のコミュニケーションに使うかというと、基本的に人間⇒機械のためのものである。そんなわけで、きれいなソースコードというものがあるとして、本来はそれをきれいと判断するのは機械になるはず。でも、それをどんなにきれいに書こうが機械はあまりほめてはくれない。
(お世辞を言えるようになればgccも一人前である。)

私の場合はほめられて伸びるタイプなのでほめてくれない相手にそんな頑張らないことにした。で、「きれい」の判断を人間にしてほしいのならそんな機械向けの言語でなく、人間向けの言語でしたほうがいいぞ、と。ようするにドキュメントを書くだけなんだけど、妙にソースコードにこだわるヒトは言っても聞かないことがある。どうも、人間向けの言語は通じないらしい。

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コメント(2)

ソースコードのきれいさは、保守する人間の為だと思います。
既存のソースコードがきれいだった場合、私はそれを書いた人間を尊敬し見習い盗もうと試みます。ソースコードをきれいにすることに成功したならば、ほめてくれる人が必ずいると思っています。そのソースがその先誰にも読まれないことが保障されているとしても、私の場合は自分を好きになることが出来ます。偽り無く自分をほめることが出来ます。
(業務経験3年の若造PGの戯言です。ド外れてたらすみません。)

保守する人間がプログラマと決まっていますか?

きれいなソースコードはプログラマなら尊敬するかもしれません。でも、プログラムを知らない普通のヒトは何も思わないかもしれない。
きれいなドキュメントはヒトを選びません。

せっかく他人の目を気にするのなら、その他人を自分と同じプログラマと限定する意味がないという経験からくる呟きでした。

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このページは、uwiが2009年5月13日 17:42に書いたブログ記事です。

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