変わるという連続性

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あまりに世界は誰が変えるのかが面白かったので、どーでもいい思いとともに。

で、世界は誰が変えるのかでは、

勘違いしている点は、三つある。

と、三つ書いてあるわけだが、指摘してる点はまあいいとして、その説明が勘違いしてるように思えたことが面白かった。

一つは、世界というのは変えないと変わらない場所であるという勘違い。

これはまあいいと思う。
世界は常に変動し、世界の内側からその世界を語った瞬間にカタチが変わるという性質も兼ね備えていたりするかもしれない。
が、そのあとが、

「世界を変えた人は一人でもいるの?」と語った御仁も @lalha も、「どれだけ世界を変えた」かといえば、 @takahashim や私の足下にはるか及ばない。世界を変えていない者ほど、ものごとを「変える」でおしはかりたがるのは、「変わる」がわかっていないからなのだろう。

と、続くのはどうなんだろうか。
最初の文で「変えた」とおしはかっておきながら、次の文でおしはかりたがるのは「変わる」がわかってない奴となっているのもあれだが、それは置いといて、世界が変わる話をしてるのだからバタフライ効果とか言わずとも、風が吹けば桶屋が儲かる位は想像できないのだろうか。
何が・誰が世界を変えたかなどカミですらあやしい、いわんやヒトをや。

二つは、世界を変えるということはよいことだだ、という勘違い。

これもまあいい。
世界は変わるのだから、いいもわるいもない、それが普通。今が自分にとっていいかわるいか、それが問題。つまり変わること、変わったこととは関係がない。
で、

世界を変えるのは、簡単だ。よい方に変えることこだわらなければ。

勘違いはさっきよりひどくなっちゃって、世界をわかっちゃってる気になっちゃってしまっちゃってるというか、あなたが神か?

そして三つ。世界は誰が変えているのかの勘違い。

まあセーフ。
世界は誰が変えているのか?それは「私」。

世界を変える人なんて、いない。
いるのは人々を変える人だけだ。
そうした変わった人々が動いてやっと、世界は変わるのだ。
ピラミッドを作ったのはファラオなのか古代エジプトの民なのか。興味深いが重要ではない。
重要なのは、ピラミッドは民が動いてはじめて出来るのだということだ。
いくら偉大なファラオでも、民が動かなければお手上げなのだ。

ヒトがヒトを変えられるなんて傲慢な妄想は神気取りのファラオでも思ったかどうか...。

God's in His Heaven; All's right with the world.

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このページは、uwiが2009年8月31日 15:54に書いたブログ記事です。

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